そらあかね28

母は猫が大好きで実家にはいつも猫が居ました。

猫たちは日がなグウタラ寝たりご飯を食べたり、時折ネズミやバッタを「いつもありがとね」的に並べて見せ、私たちをびっくりさせていましたっけ。

初代の猫はミー、グレーの美しい虎毛のメスでした。

朝食のニオイにつられたのでしょうか、子猫のミーは庭に迷い込んで来て、母が煮干をやったらそのまま居つき19年生きました。

ミーが死んだ日の事はよく覚えています。

4月の小雨が降る暖かな晩のこと、家の外に興味を示さないミーでしたが窓ごしに外を眺め、母の顔を見て、また外を見て、母と目を合わせました。

「外に出たいの?」母は窓を猫が通れるほど開けました。

そこから暫く外を見ていたミーでしたが、母が「早う行かんね」とお尻をチョンとつついたら、ぱっと外へ出て行きました。

父がタバコを買いに近所の自販機まで行った帰りに、前の通りの脇で車にはねられて死んだミーの遺骸を発見しました。

臆病で車を怖がり通りには近づこうとしなかったのに。

後になって母と「呼ばれたのかね」と話をしたものです。

 

2代目はサバ虎のヒデヨシ、オスでしたが歴代の猫の中で一番優しい性格の利口な子でした。ワンちゃんにボールを見せてポンと遠くに投げると「またやって!」とくわえて戻って来ますが、ヒデヨシはその遊びが好きでした。

リードを付けて犬みたいに少し離れた川っぷちまで散歩させていました。

お向かいの家はキレイに手入れした庭が自慢のお宅で、ヒデヨシが庭に入って用を足すのを大変嫌いました。恐らくそこで毒を食べてしまったのだと思います。食道と胃がただれて癒着し摂食が不可能なカラダになってしまいました。

家中の出しっぱなしにして居る食物を全部隠しました。食べさせると消化する前に部屋中に嘔吐し大変なことになるのです。ヒデヨシはどんどん弱って行きました。

摂食で栄養が取れないので点滴で延命しました。ヒデヨシは点滴針が痛いと知りつつ調子が良くなるので母が「点滴しようね」と言うと前足を差し出したそうです。

可哀相な最後でした。

 

3代目は「サラ」茶虎のメス。

私が福岡からゲージに入れて連れ帰った猫です。

天神の露天で子犬や子猫を安くで売る名物のオジちゃんがいました。

夫がメンタル的に落ちて寝たきりになってしまった時、気休めになれば、と飼い始めました。しかし「サラ」が来て一週足らずで夫が急逝してしまい、忘れ形見になりました。

「サラ」はホール&オーツの「サラ・スマイル」という曲にちなんで夫が付けた名です。

私が実家に帰って3年目の初夏、散歩に出たきり帰って来なくなりました。

やはり臆病でしたが大変さとい子でしたので今でもどこかのお宅で別の名でちゃっかり呼ばれ可愛がられている様な気がしてなりません。

 

4代目はサラが姿を消すと同時にやって来た迷い猫「ポン」です。

シャムの混血でブルーの目がとても美しいおっとり型のメスでした。

泥だらけでりガリガリに痩せて弱って庭木の陰でやっと息をしていたポン。

最後にお腹いっぱいにしてやそうと母がエサをやったら元気になり、お風呂に入れたらフワフワの綿毛の様な毛並みが復活、尻尾が短く丸くて「ポン」としているので「ポン」と名付けました。

バイト代が入って避妊手術をさせようと獣医さんのところに連れて行きテイ毛したら手術痕が出てきて驚きました。飼い猫だったのです。獣医さんは「置いていかれちゃったかな」と言いました。

ポンも家に居たのは3年くらいです。元気だったのですが、急に弱ってある日死んでしまいました。長患いではなかったので母のショックはその分軽減した様です。

 

ペットの命は人のそれに比べるとはかなくもろいです。

生まれては消えていく小さな命たち、関わったら最後までケアをしてやりたいものです。

 

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